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佐田岬の鬼:真風日記

「母へ」

母は東京生まれの東京育ち、当時、太平洋戦争が本格的になり、一家で戦火を逃れるために父の古里に疎開してきたらしい。

そこで現在の父と知り合い我々が生まれた。戦争がなければなかった縁であろう。

母は体格が良くいつもニコニコ笑顔の絶えない人でした。
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福島家に嫁いでからは、石材業、水産業と父の経営をたすけ、家庭と会社をきりもりし大変忙しい時期を過ごしたことと思います。


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水産業では現在の「朝日共販」の礎を築いてくれた人で、当時はしらす漁も全て人の力で行っており、多い日には50名ほどの「おなごし」を雇い、砂浜で天日干し製品にしておりました。

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小学校から帰ると浜一面に干されたしらすを見ると今日は大漁だな~ 。子供心に「また今日も遊べないな~友達が遊んでいるのを横目にお手伝い

しかし中学校、高校になると、今日は大漁だから早く帰って手伝わねばと母の背中を見ると兄弟皆思った事でしょう。

大阪の大学に行ったときには、いつも荷物と一緒に手紙とお小遣が入っていて、読みながら涙した事を覚えています。「早く帰って家業を継いであげねば・・・・・・

卒業後は兄弟家業を継ぎ少しは親孝行できたかな?
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退職後は孫の世話をしてくれ、みんなで旅行にもよくいきました。
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認知症になってからは姉夫妻が7年間介護をしてくれたおかげで、我々兄弟は子育て仕事が出来、大変感謝しております。
ここまで母が長生きできたのも姉夫妻が大切にしてくれたからです。
その儀兄も先月亡くなりちょうど四十九日の法要の翌日、母が亡くなりました。これは母の最期の兄への恩返しだったようなきがします。

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父と子供男3、女3みんな兄弟仲良く、これは各々が母の背中を見て学んだ事でしょう。
「我々、兄弟の自慢の母親ででした。
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「母へ、あなたが死んでもあなたのDNAは現在20名の孫、ひ孫とこれからもどんどん増え、受け継がれて行く事でしょう。」


どうぞ天国に行ってもニコニコ笑顔でみんなの成長を見守って下さい。



                         二男 大蔵より。
  1. 2012/05/25(金) 10:08:40|
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